ヘルプマークの取得方法と活用に関する疑問と悩み

 

 母ぴろこの脊髄小脳変性症発症から5年ほど経った頃(2023)、なかなか言葉が出にくくなってきたの同時に、老人特有の元の性格の先鋭化も始まり、買い物している様子を傍で見ているとハラハラすることが増えてきました。


どうしたらいいのか・・・。

 

 この頃は、まだギリ一人で自転車に乗って近所に買い物に行ったり、電車に乗って主要駅前に出てきて買い物したりできていましたので、あれをするな、これをするな、ついつい言ってしまいそうになりますが、それでは行動の制限をする事にもなってしまうしな・・と頭を悩ませていました。

 ある時、姉が「ヘルプマーク(赤いタグ)を付けたらどうだろう。お母ちゃんも、(ちょっとせっかちが先鋭化してぐいぐい行ってしまうこともあるけど)病気は病気やし」と。


「ヘルプマーク」私は何となく、『例えばペースメーカーを使っておられたり、発作を起こすような大きな病気を患っている方が使うもの』と勝手に思っていました。

 

でも、確かに、困ったときに

 

 言葉が出にくいし、

 手の細かい動きが難しいため、文字が書きにくい、

 しかも失語でもあるため本人が考えている言葉が表現しにくい

 

この状況は、周りの方に助けていただいてもいい状態。

 

 さっそくヘルプマークはどんなものか、どうやって得る物なのか調べてみました。


ヘルプマークとは

義足や人工関節を使用している方、内部障害や難病の方、または、妊娠初期の方など、援助や配慮を必要としていることが外見からは分からない方がいます。ヘルプマークは、そうした方々が、周囲の方に配慮を必要としていることを知らせることで、援助が得やすくなるよう東京都が作成したマークで、平成29年7月にはJISの案内用図記号に採用され、全国に普及が進んでいます。

兵庫県では、年齢、性別、障害の有無、文化などの違いにかかわりなく、だれもが地域社会の一員として支え合うなかで安心して暮らし、一人ひとりが持てる力を発揮して元気に活動できるユニバーサル社会づくりの取り組みの一環として、ヘルプマークの普及啓発に努めるとともに、平成30年1月より、ヘルプマーク・ヘルプカードの交付申請の受付を開始しています。

このマークを見かけたら、電車内で席をゆずる、困っているようであれば声をかける等、思いやりのある行動をお願いします。

兵庫県HPから引用

 

 

[参考]

web.pref.hyogo.lg.jp

 


ヘルプマーク取得の素朴な疑問4点

 ヘルプマークを取得するにあたって、私が感じた素朴な疑問4点を共有します。多分、だれしもが感じる疑問では無いかと思いますが、

ハッキリ言って全く心配ご無用です!

ハードルなんかありません。

ヘルプマークはどうやってもらうのかご存知ない方は、是非一読ください。

 

Q1. ヘルプマークはどこでもらえるのか?(発行されてるのか?)
A1. 様々な自治体(県や市町村)が発行されています。
   ヘルプマークは1人1つまでとなっています。

 

[参考]

ヘルプマーク 東京都福祉局

兵庫県/ヘルプマーク・ヘルプカードについて

神戸市:ヘルプマーク・ヘルプカード

 

Q2. ヘルプマークもらうにあたり、病気や状態等の、基準はあるのか?
A2. ありません。あくまでも自己申告

 

Q3. 手続きに、診断書は必要なのか?
A3. 公的な診断書等は全く必要ありません。

 

Q4. 手続きは、代理人でもできるのか
A4. 代理人でも手続きできます。
   ただし、保持者との関係を申告し、身分証明が必要です。


 ヘルプマークは、都道府県・市町村で発行されています。
私の住んでいる市も、サービスセンターに行けば、必要な個人情報を登録して、その場で即発行していただくことができました。

 私は代理人の為、続柄を伝え、身分証明書を見せて登録しました。

 

【ヘルプマーク】

 ヘルプマークは、赤いタグの裏側に、本人の事情を説明する欄、連絡先を書くことができるようになっています。

 

【ヘルプカード】

 また、同時に財布に入れておくようなヘルプカードも同封されており、同じように本人の事情を説明する欄と連絡先が書けるようになっています。

 

手続き・入手方法

* 下記の交付窓口へ「兵庫県ヘルプマーク交付申請書」を提出してください。
    1. 窓口へ直接ご持参いただいた場合、その場でヘルプマーク・ヘルプカードをお渡しします。? 
    2. その他、郵送・ファックス・メール等でも受付可能です。?後日申請書記載の住所までご郵送いたしますので、交付申請書を県窓口までご提出ください。? 
* ヘルプマーク・ヘルプカードの交付は無料ですが、1人1個(枚)までとさせていただきます。?(ヘルプマーク・ヘルプカード1つずつまで同時に交付可能です。)
* ヘルプカードについては、下記の「兵庫県版ヘルプカード」の様式をダウンロードし、印刷してご利用いただくことも可能です。
* 交付にあたり手帳等の提示や写しの添付は必要ありません。
* 代理の方が申請することも可能です。

兵庫県hpより引用

 

[参考]

web.pref.hyogo.lg.jp


ヘルプマークは案外普及している(気がする)

 母ぴろこがヘルプマークつけるようになり、私自身もヘルプマークに関心が強まったのか、街中を歩いていると、ヘルプマークをつけている人は案外多いです。
 現在アラフィフの私たちが子どもの頃よりは、メンタルの病気への認識も変わったし、その部分でも心配がある方はヘルプマークを活用しているのかもしれないですね。

ただ、、
 ファッション化していないのか?と言うか風に思える時もあります。
 高校生ぐらいの人たちが複数人皆ヘルプマークっぽいもの(あえてこう言います)をつけてる所を見たこともあります。
 なんとなくググってみると、ヘルプマークっぽいデザインのアイテムを販売しているお店もあるようです。


ちょっと。。
区別がつきにくくなるのもいかがなものでしょう?と危惧したりもします。

 

ググってる途中には、下記のようなニュースも見ました。
転売している輩もいるなんて。。

[参考]

mainichi.jp

 

ヘルプマークは、公共のサービス(無料)です。
お近くの都道府県・市区町村で申し出ると、取得できるものですので、
必要に応じて、正しい手続きを行い、活用しましょう!

 

突然訪れる別れと未来への想い

 先日、中尾彬さん 振付師の真島さん 今くるよさんが立て続けに亡くなられました。

別に、この方々の熱狂的な大ファンという訳ではないのですが、みなさん昔から活躍されていて、よくテレビで拝見していました。

 今くるよさんは、養生中の認識でしたが、振付師の真島さん(マジ)については、今期見ていたドラマにもゲスト出演されていて先日見たばかり。

 中尾彬さんは、父と同い年、同じような割腹さに、親しみを持って心の中では勝手に「アキラ」と呼んでおり、中尾彬池波志乃夫婦は最近までテレビで見ていた気がしていました。(ニュースで知りましたが、アキラは今年になってから、体調が優れず、養生されていたそうです)

 

 ニュースによると、アキラは静かに志乃さんに看取られ、とても安らかなお顔であったようです。
 ファンとしては、安心できる情報ですが、同時にアキラと同世代の両親を持つ自分とっては胸がキュっとなります。

 

 アキラ、マジー、くるよ師匠のご冥福をお祈りいたします。 合掌。

 

 最愛の家族(パートナー)に、最後静かに看取られる

 これ、とても理想的ですが、自分自身は出来る事なのでしょうか、疑問。。。

 

 同世代のカップルの場合、両者ともにリタイアして、突然の事故とかではない限り、パートナーを看取る、看取られるは可能かと思いますが

 働き世代の子は、親の死に目に立ち会えるかどうかは、なんともわからないですね。

 

今年の3月末、身近な同僚2人のご家族が連続して亡くなりました。

お一人は、
急にスクッと立って「父が亡くなりました」と一言。(末期治療の為入院中でした)
その後、退社されましたが、私たちの仕事は年度替わりの時が1番忙しい為、翌日は暦の関係でする事がないとの理由で、在宅勤務されました。

 

もう一人は、
まさに相方なので、双方が在宅勤務をしていても頻繁に連絡を取る同僚。
お一人目訃報の翌日、私は在宅勤務で、彼女は職場。
5-10分、彼女の端末が待機状態になってるなと思ったら
「弟が亡くなりました。今から帰ります。何日間か休ませてもらいます。よろしくね。はーい。」というチャットが届きました。

 

『えええええ?????!!! お、弟???!!!』

こちらは突然すぎて絶句。他人事でも手が冷たくなるほど、動揺しました。

 

 二人ともとてもショックだったと思うのですが、私の目から見ると冷静で気丈に振る舞われ、上司と調整して休暇を取られました。

 

 自分に置き換えたら、どうするんだろうなと、考える次第です。

 

 『自分が死んだら溺愛している娘達(人は”ぬいぐるみ”と呼ぶ)は、どうなるんだろう?』と考えるだけで号泣する私
 ※酒井順子さんの言葉を借りるなら、「独居老人腐乱死体 ぬいぐるみ散乱事件」になってしまう。恐ろしい。。

 

 仕事中に、母親が亡くなったら、、父親が亡くなったら、、と考えるだけで胸が潰れる思いになります。

 

 母ぴろこや父一郎が永眠したら、私はどうなるんだろう。。。

 人目を憚らず涙するかも知れない。いや、きっとそうなる。(ちょっと迷惑)

 まだまだ元気な両親を捕まえて、こんな悲観的妄想をしてしまいました。


 どんな形にせよ看取る事が出来たら、私は幸せなんだけどな~。
 (本人達はどう感じているのかは別ですけど)

 

 ちなみに、母ぴろこの母みちゃこは、
 危篤連絡を受け駆けつけた子どもや孫に、「頑張れ!!頑張れ!!」と激しく激励され、一瞬持ち直すも、自宅待機となり帰りかけた私達に用事を言うために走って来た母ぴろこのパンツのゴムが切れた時、静かに天に召されたようでした。

 ぴろこのパンツのゴムに自分の旅立ちを知らせたみちゃこ。
 この話も、後になれば面白エピソードで、いい思い出です。

 

祖母みちゃこ、ありがとう!

 

うちの家族構成・登場人物

父 一郎:盆栽・金魚を愛する超マイペース。

母 ぴろ子:猪突猛進 なんでも力ずくでやり遂げます!

姉 はな子:おっとりと見せて、冷静なかしこ。 実家から2時間の隣県在住

私 せつ子:しっかりと見せて、詰めの甘い繊細さん。実家の近くに在住。

 

財布の小銭問題と解決策

財布が小銭でぱんぱんは計算力障害の可能性大

 2-3年前、母ぴろこは80過ぎ。その頃のある日、姉はな子や父一郎が、「母ぴろこは、財布にめちゃくちゃ紙幣(1000円札)を入れている。」と言い出しました。
 いつも持っているかばんを見ると、別の封筒にどっさりお札も入れていました。。

 何に使うのか聞いてみた所、デパートで化粧品を買うとの事。
 ちふれの化粧品 10年分くらい買えそうな金額やな。。

 

 最初は気にしていませんでしたが、母の通院の回を重ね、よく観察していると確かに財布が分厚い。小銭もじゃらじゃら入ってる・・・。

でも、まー そんなものかなと思ってスルーしていたのですが

 

 ある時、スーパーでお金を支払う時に、母ぴろこの様子を見ていると、支払金額にあうようなあわないような、多めの紙幣と金額に合わないような小銭の一部だけで支払おうとしたのです。。

 例えば、1800円支払うところに 1000円2枚と 500円1枚
どう見ても、財布にはじゃらじゃらと全種類の小銭がいっぱい入っているのに・・。


うちは小さな商売を55年ほどしていましたので、

  • お客さんから現金を受け取り、お釣りを渡す。
  • 閉店時には、お金を数えて確認する。

この2点は母ぴろこの仕事でした。

 なので、小銭・紙幣を効率よく使う支払計算が出来なくなっているのにはびっくりしました。お金大好き母ぴろこに限って・・

 後で、本やネットで知りましたが、老人の「失計算」「計算力障害」という事です。これは、今の自分も昔より計算力が落ちているので何とも言えないですけど


買い物の様子に寄り添う心が必要

 あまりにも小銭が多くなる上に大きな長財布にはポイントカードがびっしり入っているので、財布はぱんぱんになっていくばかりです。

 

 この頃から、脊髄小脳変性症の影響が少しずつ出てきて、手先の細かい動きが出来なくなってきてる為、財布から小銭も紙幣もポイントカードが出しにくい・・

 

 その上、返却されるポイントカードやお釣りを受け取っては、かばんの財布のあるあたりにバサッ!と投げ入れる為、また次の店でポイントカードが見つからない・・


 こうなると、(これも脊髄小脳変性症の影響だと思いますが、)膝を曲げず、前屈するような様子で、かばんを床に置いて探し物をするの繰り返しでした。

 

 当時は、「お釣りもポイントカードもちゃんと元に戻したら?元に戻したら、次使いやすいやん!!」と正論をぶつけ、周りの人には『すみません。。すみません。。。』と過剰に申し訳ない気持ちでした。

 

こんな私の言動はあまり良くない対応であったと、今では思っています。

 

「色々とうるさいさいことを言わずに見守る」が、きっと正解でしょう。

 

 本人は思い通りにしたい訳だし、俯瞰してみると、よほどのことで無い限り、周囲には迷惑はかけていないものです。

 私自身に寄り添う気持ちが足りなかったなと思います。


財布を変えようと勧めてみたが、当然「No!」

 家族3人で、もうちょっと小銭が出し入れしやすい財布を新調してはどうか?と働きかけてみましたが、当然「いや! 財布いっぱいある!!」といい、歴代の財布達(フェイラー/FEILERカルティエIBIZA おばちゃんがよく持ってる素敵系の財布)をどっさりもって来て怒っていました。

気持ちはわかるけど・・。でも、今のあなたの状況では使いにくい財布ばかりやね・・・。


カード利用を検討したものの、やっぱり「No!」

 私のクレジットカードデビューは大学生の時で、地元デパートクレジットカードの家族カードで、もちろん与えてくれたのは、母ぴろこでした。

 大昔30年ぐらい前?、母ぴろこも海外旅行で使うためにカードを発行したと記憶していますが、そういえば国内で母ぴろこがクレジットカードを使っている所は見たことがありません。

 母ぴろこが、唯一、カード(タッチ)で使っているのは、市が定額を負担してくれる自分で申請した交通機関のみ使える高齢者専用交通系ICカード(黄色)のみ。
(JR西日本ICOCAであるため、自分でチャージもできたが、2024年秋から申請する交通機関から電車は外れました。不正利用が多かったのかも。今後はバス(継続)とタクシーはチケット配布のみ)

 

 一度、病院帰りにバスに乗り、地元を離れて長い姉が運賃を勘違いしたこともあり、母ぴろこは財布からお金を取り出すのに大パニック。
 電車用の高齢者ICOCA(黄色)が使えるなら、バス用に普通のICOCA(グレー)を準備し渡してみましたが、予想通り「要らん!!」激怒しながら詰め寄られ、叩かれまくりました。まー想定内w

aiueoigakita.hatenablog.com

 

1枚でオールマイティーにピッ(かざすだけ)のカードなど無い

 一般的にはクレジットカード、電子マネー交通系ICカードQR払い は普及したが、オールマイティーにピッ(かざすだけ)でどの施設でも使える全てを兼ね備えるカードなんては、まずありませんね。

 母が買い物をする所、4-5か所(デパート・スーパー)のサイトを確認し、直接店に電話をかけて全部確認しましたが、ここはクレジットだけ、ここはクレジットと電子マネーだけ、こっちは交通系ICとpaypayだけ とか。。
大分調査に疲れましたw


 同じクレジットカードもお店によってピッ(暗証番号サイン不要)で行けるところもあれば、カードリーダーによっては暗証番号を求められたりしますし
今の両親にはハードルが超高め。

結論:不便 手足不自由でも現金払いの続行となりました。

これまた、私の独り相撲となりました。ばっちこーい。w

 

感動するお店の方の対応

 母ぴろこの変調により、買い物に同行することとなって、気が付いたことがあります。
 それは、いつもよくいくスーパーやデパ地下のスタッフの皆さんは、とても親切に対応してくださることです。
 私は母ぴろこと買い物に同行するとき、買い物に猪突猛進する母の姿しか見えていませんでした。


 ある日、よく行くスーパーでお金の出し方がおかしい母ぴろこに、レジの方がかけてくれた言葉は、

 

「このお金(硬貨)もう2枚ないですか?」

 

『なるほど~~ その表現は視覚で分かりやすく具体的! そしてとても寄り添っている。(恥ずかしさを与えない)勉強になる~』

 

 また、同じ日にデパ地下でもおすし屋さんのおじさんを見ても、清算を順番待ちしている人がいる空気が読めない母のグイグイ加減に、怒ることなく穏やかにに対応してくださってたりするんですよね。

 おそらく、多少の職場教育はあるのでしょうが、それだけではなく、ご本人がとても優しく人生の先輩方を敬う気持ちをもっていらっしゃるんだなと思いました。
 世の中は捨てたものではなく優しさで溢れています。

 

死ぬほど貯まっていく小銭たちの行方

 そんなこんなで、老人に小銭がたまっていくのは避けられないわけです笑
父一郎には、「これ、どうにかならんのか? お前どないかしてくれ。やるわ」と受け取った小銭たち。500円や100円は無く、ほとんどが10円・5円・1円。50円が紛れてたらラッキーぐらいの小銭たちです。

 昔は、銀行や郵便局の窓口にもって行くと、手数料なく入金することができたのでしょうが

 今は、世知辛く窓口で人の手を煩わせると手数料がかかるんですよね・・。

 小銭を入金するのに、100円単位での手数料がかかるなんて。。え”ぇ”ぇ”~~。

 

硬貨入金は難しい

 手数料について調べてみたところ下記が分かりました
 お勤めされている方(特に土日祝が休暇のお勤め)にとっては、不便です。
 ほとんどが10円・5円・1円の小銭を入金するのに有休取ったりしないし、
有休取るときは大概用事があるので、重い小銭をもって銀行に立ち寄る時間なんかないものですし。。

硬貨入金に関する手数料について

銀行/郵便局の窓口をで入金すると、50枚以上は決められた枚数ごとに手数料がかかる

 

手数料なしで硬貨を入金できる方法について

  • (ほとんどの)銀行/郵便局の窓口で50枚入金する
    ※1日50~100枚ほどしか無料ではないので、量が多い場合は日を変えて入金する
    訪問される際には、事前にお調べください。

 

  硬貨対応時間 平日 8:45~18:00 ←平日お勤めの方には難しい時間!!
  1回100枚まで (繰り返し入金可能)

 ※すべてのATMではありません。
  主に銀行が併設しているATMは対応していることが多いようですので、
  訪問される際には、事前にお調べください。


一筋縄ではいかない硬貨入金

 硬貨取引をしてくれるATMで入金はできますが、1回100枚ずつしか投入口に入れる事ができません。

ジャラジャラ~ ジャラジャラ~

と調子に乗って投入しても、100枚超えたら超過分は差し戻しされます。。
 100枚って案外すぐで、多めに入れると差し戻し、この行き来は案外時間がかかります。
これらを繰り返しを行いますので、時間には余裕をもって対応ください。


案外、友がいる

 先日、近くでじゃらじゃら音が聞こえたので、ふと見てみると
セカンドバックをもったおじさん(60-70代)が、セカンドバックからたくさんの小銭を


掴んでは硬貨挿入口に
ジャラジャラ~

掴んでは硬貨挿入口に
ジャラジャラ~

 

心の中で、『先輩、お疲れ様です!』とご挨拶しました。

 

まー 人生みな通る道。 小銭が出たら任せとけ。

ゆっくり行こうな。な、ぴろこ。

 

うちの家族構成・登場人物

父 一郎:盆栽・金魚を愛する超マイペース。

母 ぴろ子:猪突猛進 なんでも力ずくでやり遂げます!

姉 はな子:おっとりと見せて、冷静なかしこ。 実家から2時間の隣県在住

私 せつ子:しっかりと見せて、詰めの甘い繊細さん。実家の近くに在住。

お薬管理の難しさと解決法

 

 老人あるあるでしょうが、老人になると飲むお薬の量が増えてしまいます。
そこで、利用したいのがお薬の一包化です。


 母ぴろこは、晩年色んな病期になるまでは、全く病院通いをしない元気な人でした。
一時期は、RS3PE症候群(リュウマチ系)と脊髄小脳変性症、かかりつけの内科とそれぞれ別の病院のため、3箇所から別々に薬をもらう事になり、それなりに飲んでいたと思います。(と信じてた)

 ある時、訪問看護師さんだったか言語療法士さん経由だったかに、「お薬がちゃんと飲めていない様子」と聞き、様子を確認しました。

 当時は、それぞれの薬を自分で、朝はこれ、昼はこれ無しという様に自分で処方通り組み合わせて飲んでました。
 毎回同じ数だけ飲むならまだしも、これは毎食後、これは朝晩、これは夜だけ、となっているので、とても難しい。間違えて、当たり前な複雑さです。

 

 

倹約家で真面目な人ほど、お薬管理が難しくなる

 なぜ、お薬を飲み間違えたり、残数の数が合わなくなるのか、注意深く確認したところ・・・
 飲み忘れた日が重なると、それぞれのお薬がそれぞれバラバラの数量残ります。

 

 そうなると、倹約家で真面目な人ほど、前の残りから消費したがるのですよね。

 

 気持ちはわかりますが、また新しく2か月分お薬をどっさりもらうので、それぞれ分からなくなり、飲み間違ったりでカオス状態になります。。

 

 

お薬一包化までの道のり

お薬管理カレンダー

お薬の飲み忘れ、飲み間違いが増えてきたところで、母ぴろこにお薬の一包化を進めてみましたが、当然NO!

「自分でできる!!」と激怒です。

当時は、お薬は自分で取り込み、こちらで調整する事も出来ませんでした。

どうしようか、悩んでていた所、訪問看護師さんから「お薬管理カレンダー」を持ってきてくださり、曜日ごとに朝昼晩のポケットがあり、そこに薬を事前にセットしておく事に。
 最初はそのセットも自分でする!と聞かなかったのですが、あまりに間違えるので、父一郎が「ワシがしたる!」と言い出し、父一郎の仕事になりました。


特別な薬は処方箋に特記すべし

 当時は3つの病院の薬をセットすることになっていて、しかもRS3PE症候群(リュウマチ系)の薬は、「症状が出てなかったら飲まなくていいよ。減らす方向で行きましょうね」とお医者さんに言われるものだから、

 母ぴろこはその言いつけをちゃんと守って、症状が出てないので飲む量を減らしていました。

 母ぴろ子は生真面目なので、毎回同じ量を飲まないといけないと思っている為、2日に1回1錠飲んだら?という父一郎の提案には納得せず

 

 5mmほどの1錠を、手先がおぼつかないのに包丁で切ろうとしたり・・・
 なんとか包丁で切ったら(砕いたら)、どっか飛んで行ってしまったり・・・
 タ、タイヘン・・・。

 

 このRS3PE症候群(リュウマチ系)の先生から「飲む量を減らしていきましょう」と言われたのは、私も通院に同伴していたので一緒に聞いていたのですが、処方箋には『夜食後に1錠』と書かれている為、薬の管理を行ってくれる看護師さんからは当然指摘を受け、「薬局にも確認したが処方箋に書かれていない。勘違いしている・間違ってる」言われ、私も気分を害しました。ちゃんと私も聞きました!」と何度も訴えても却下されました。

 

 お薬の関する特記事項は、処方箋に明記してもらわないとトラブルの元になるので、気を付けてなければなりません。
(その後は、症状が小康状態になっている為、通院を一旦中断することになり、お薬減らす問題は解消しました)


 そんなこんながあり、訪問看護師さんからもお薬の一包化を両親にすすめてもらい、再度、脊髄小脳変性症のお薬をもらう際に晴れてお薬を一包化してもらうことができました。

 少しだけ割高にはなるものの、色んな手間や間違いを起こすことを思うと、お薬は一包化がおススメです。
(違う病院のお薬も、お薬をもらうタイミングが同じ場合は、同じ処方箋薬局で依頼すると合わせて一包化することも可能だそうです)


 古い薬から飲んでなくしていきたい気持ちわかるし、しゃーないよな、ぴろこ。
 でも、小さい薬を包丁で切るのはやめてよ、頼むで! な!ぴろこ

 

うちの家族構成・登場人物

父 一郎:盆栽・金魚を愛する超マイペース。

母 ぴろ子:猪突猛進 なんでも力ずくでやり遂げます!

姉 はな子:おっとりと見せて、冷静なかしこ。 実家から2時間の隣県在住

私 せつ子:しっかりと見せて、詰めの甘い繊細さん。実家の近くに在住。

 

手助けのバランス:家族の愛と本人の自立

脊髄小脳変性症の初期段階

 母ぴろこが脊髄小脳変性症を発病して4-5年。
 この病気を発症する前から、RS3PE症候群という難病も発症していて、一時期は大きな病院2ヶ所に通っていました。(他は行きつけの内科と眼科もあり)

 RS3PE症候群はリュウマチ/膠原病系の難病で、手首や足首の片方だけ(両方同時に見たことがない)むくみ始めて、稼働しにくくなる病気です。
最初は左足首だけが異様に浮腫んで動かしにくい事がきっかけで病院にかかった記憶です。
その後は、片方の腕の一部だけが浮腫んだり、右手だけが浮腫んでギュッと握れない状態になったり。

 こちらも難病に指定されていて、治療方法はなく、薬を飲んで症状を緩和するだけなので、2ヶ月に一度病院で担当の先生に問診をしてもらっていました。
難病のため完治することは無いと言われているのですが、母ぴろこの場合、症状が全く出ない状態まで回復したりするので、2年間病院に行かなくてもいい期間があったり、症状が出てきたらまた通院したりという繰り返しです。

RS3PE症候群(RS3PEしょうこうぐん)(平成21年度) – 難病情報センター

 

 どちらの病気も発病当初は、病院での様子を聞いても、「大丈夫や!」の一点張りで何も教えてもらえず、本人の様子を見ても、多少症状は出てるものの、生活ぶりには変化が無いように感じていましたので、色々詮索して喧嘩になるのも面倒なので、「ふーん、そうか」くらいの感覚でした。

 感情の起伏が激しくなったり、同じ時間にごはんを食べたがったりするルーティン行動が気になり出してから、姉と2人で病院同伴を説得して、脊髄小脳変性症で通ってる病院について行くようになりました。

aiueoigakita.hatenablog.com

 

発症して2-3年

 発症して2-3年経っていたと思いますが、病院について行き始めた当時は、しゃべりにくいに加えて、イスに腰をかけるときに、目的の場所にうまく腰を下ろせない。
イスとちょっとズレた所に座ってしまう感じ。

 あるあるですが、カップコーヒー持ったまま、バシャっと白いジャケットにこぼすという感じ。あららら。。という様子です。

 

 でもその頃は、母子3人で行動しても、基本せっかちなので、先陣を切って歩くのがお約束。我が家のリーダーそのものでした笑。

 その後数回、嫌がられながら姉妹で通院に同伴した後、病院の移転に伴い、もう少し家の近くで近隣では1番大きな病院へ紹介を受けて通院先が変わりました。

 

子どもに支援を求め始めるのは第一転換期

 新しい病院は色々と手続きが違うかもしれないから娘が通院について行くと申し出ると、案外すんなり納得しました。意外。。


 すると、翌週の病院(RS3PE症候群)もついてきてほしいと言い出しました。えええ??意外!!

 

これって。。。

 

 この気の強い助けられたくない母ぴろこが「病院についてきてほしい」と言い出すのは、よっぽど病院で何か困ることがあったのでしょう。今ならわかる。

初めてのマンツーマン通院付き添いはクタクタ

 私は幸せな事に、とても健康の為、健康診断くらいでしか病院へ行くことがありません。ましてや大きな病院には全く無縁の生活をしています。

 母ぴろこがRS3PE症候群で通院していた病院は、地元でも有名な国立病院で、私からすると全く勝手がわからない状態。

 とにかくせっかちな母ぴろこは、病院に行くのにも予約時間があるにもかかわらず、とにかく朝イチ開院同時に入場したい為、当時は駅で待ち合わせをして、タクシーに乗車。

 

 タクシー内で一言
 「要らんこと言わんでええ!」(お医者さんへ何も言うな)と口止め。

 

 病院に到着してからも、失語で説明がしにくいのもあり、黙って猪突猛進。

 

「え? え? どこ行くん?」「これ(診察券)、ここにこんな風におくの?」

 

イチイチ私も質問したのも悪いのでしょうが、質問する度に

「要らんことするな!!要らんことするな!!」と大きな声でキレられ、叩かれまくりました。さすがに周りの人も、大変・・・娘さん。。という雰囲気でしたw

 

 この日、猪突猛進の母ぴろ子と「病院で診察→薬局でお薬もらう→ランチする→買い物する」半日を過ごし、別れて帰った後、ぐったり疲れてビールを飲んで昼寝しました笑。

 

娘に通院の同伴を求めた理由

 こちらの病院では、事前問診の記入が求められるようで、おそらく脊髄小脳変性症の影響で手が思うように動かなくなっている為、文字が書きにくくなっているので、困っていたようです。

 確かにこの頃だったか、母ぴろこの書く字を見てショックで涙が出たことを思い出します。

 特に習う等はしていませんが、普通にきれいな字を書く人でしたので、筆圧が弱く、大小が揃わず、まっすぐに配置できない文字になっていたのです。

 これは、弱ってきた母ぴろこを本当に目の当たりにした気分になり、娘として本当に切なくなりました。

 

手助けするタイミング

 私は親になっていないので、分からないのですが、やはり親としての威厳を保ちたいという気持ちが強いのですね。

 それを、おせっかいな私は、勝手に見かねて手助けしようとしまくるので、母ぴろ子としてはうざいのです。

 はやり手助けは、「グッ と我慢しつつ見守って、本人が求めたら助けるというスタンスでいないといけない。

 こちらは、助けたいと思うけれども、それはこちらのエゴなんですよね。

 本人は手助け不要!とおもっている可能性も高く、過剰に先回りして手を出してしまうと、本人が自分でできる事を奪ってしまう事にもなりかねない。

 

 この数年、私自身も色々と経験し、でも同じ失敗を繰り返したりもしていますが、しょうがないよね。

だって人間なんだもの(みつを風)、なー、ぴろこ。

 

うちの家族構成・登場人物

父 一郎:盆栽・金魚を愛する超マイペース。

母 ぴろ子:猪突猛進 なんでも力ずくでやり遂げます!

姉 はな子:おっとりと見せて、冷静なかしこ。 実家から2時間の隣県在住

私 せつ子:しっかりと見せて、詰めの甘い繊細さん。実家の近くに在住。

 

母子関係の複雑さとジレンマ

母子の関係

 親が晩年を迎えると、親の事、自分の事、自分の親子関係を考えたりしませんか?

 母ぴろこと私せっちゃんの関係は、まさにハリネズミのジレンマ

 これは、私自身が自我を持ち始めた時からの永遠のテーマのような気がします。

 お互い大事に思っているし、別にケンカしたいわけではないのに、近づくと大ゲンカするような関係。

 幼い時から、母ぴろこに、なぜか納得できない事に「ええから、言う事聞け!」と言われたり、怒られたり、、、

子どもの時は、親は絶対正しいものだと思っていたし、それで良かったですが・・。

ちょっと価値観が違うんですよね。

 

 私は、子どもの頃から、わりと活発で、クラスの中でも成績もよく、委員長なんかに選出されるようなリーダーシップのあるタイプでした。めちゃくちゃ真面目でもなくとてもフランクなため、男女問わず友達も多かったように思います。

 中学生くらいまでは生意気でめんどくさい娘だけど、母ぴろこにとっては、「”自分(母ぴろこ)の思い描く理想の人生”を歩んでくれそうな娘」と、とても期待していたと思います。

 

 ただ、そんな理想通りにはいかないものですよね・・。

 

 別に、「親に反抗してやろう」「困らせてやろう」とは全く思っていないのですが、自分がやってみたい事、考えることが、母ぴろこの理想とはどんどんかけ離れて行ってしまい、事あるごとにがっぷりよつでケンカをするようになっていました。

 

 就職活動に失敗していた上、大学卒業前に阪神大震災が起こり、最終的に最初の職場は母ぴろこのコネで公務員系の臨時職に就きました。

 当時、母ぴろこは大企業に就職できないなら公務員になってほしい(公務員と結婚してほしい)と思っていたようなので、その役所の臨時職を辞めて、自分で仕事を探し転職したときには「せっかく○○に送り込んだのに!」と悔やみまくっていました。毒親全開ですね笑

 ケンカになるから、あまり自宅におらず、夜は友人たちと飲み歩き、休みは買い物に出かけたり。これがまた原因でケンカになるという負のスパイラル。

 そのうち、夜20時くらいから、「まだ帰ってこないのか?」じゃんじゃん電話がかかってくるようになり、「あんたが帰ってこないと、ドキドキして寝られへん!」と怒られるようになっていました。

 長い間、本当にそれが嫌で嫌で、「色々と感謝はするけど、尊敬できない」と考えていました。

 その反動か、周囲には親とケンカが絶えないなら実家を出るように提案されても「母ぴろこが褒めてくれるまで、実家を出て行かない!」みたいな変な意地を張っていたように思います。でも裏腹に、よしよしと頭を撫でてほしい、ぎゅっと抱きしめてほしいとも思っていました。

 

 でも、自分が50を過ぎ、親が80を過ぎ、色々と今までの生活とは変化が起こった今では、本当に両親が大切で大好き、田舎から出てきて見知らぬ土地で小さな自営業を長く営み、娘二人を大学にまで行かせ、金銭的にもたいへんな苦労があったことも今では身に染みてわかりますので、感謝してもしてもし尽せないし、本当に尊敬をしています。

 時々たまらずハグしてやろうかという衝動に駆られそうになりますが、今までの親子関係もあるし、急にベタベタする事もできないので、踏みとどまっています。笑

 

 また、最近ようやく、やっと、

生きてきた時代は違うので、親と価値観は違って当たり前。

親にも自分にも、同じように至らない点はあるし、

親の言うことでも、聞けないことがあって当たり前。

親の言う事を聞かなかった自分は、悪いわけではない罪悪感は要らない。

ということに納得できるようにもなりました。

(反抗心をもちつつ、罪悪感もあり、長く苦しく思っていました 中2病ですね笑)

 

私もオトナになったで! なっ、ぴろこ♪

 

ヤマアラシのジレンマとは

人間同士が互いに仲良くなろうと心の距離を近づけるほど、互いに傷付けあって一定距離以上は近付けない心理を指します。 
人間同士が仲良くなるためには「近づくこと」が絶対条件となりますが、近寄りすぎると互いの考え方の違いから緊張感にさいなまれ、反発が起きることがあります。

 

うちの家族構成・登場人物

父 一郎:盆栽・金魚を愛する超マイペース。

母 ぴろ子:猪突猛進 なんでも力ずくでやり遂げます!

姉 はな子:おっとりと見せて、冷静なかしこ。 実家から2時間の隣県在住

私 せつ子:しっかりと見せて、詰めの甘い繊細さん。実家の近くに在住。

怒りが止まらない-認知_兆し-

怒りが止まらない-認知_兆し#5-

 母ぴろこの老いを感じ始めの頃、『えええ!? これ大丈夫??』
と意識づけられた出来事は、2年程前の9月に母ぴろこに激怒された事でした。

激怒も激怒。激オコMAXでした。

 

 その頃は、決まった時刻にご飯を食べたがったり、段ボールゴミが出たら「即」自転車に乗って、近所の回収ボックスに捨てに行っていましたし、怒りが急に爆発するようになってきていた事は感じていましたが、この出来事は、無かった事にはできないほど衝撃的でした。

aiueoigakita.hatenablog.com

 

 激怒の原因は・・・。

 私が、母ぴろこの大好物「551の豚まん」を買ってくる事を忘れた事でした。。

 

 もちろん、私が悪いです。

 

 前日に「今、デパ地下に551来てるから、明日買ってくるね」と宣言していた為、『”言語リハビリの日は疲れるから、豚まん楽しみ♪”と思っていたのに、せっちゃん(次女の私)が約束の551を買ってこなかった!!』という怒りが、まさに怒髪冠を衝く状態。

 

 私は、その日に限って仕事が妙に忙しくプチ残業。ボーーーーっとしてデパートを通り過ぎて電車に乗ってしまっていました。

 

 玄関先にまで出て待っていた母ぴろこに

「あ、ごめんごめん。買ってくるの忘れた。明日買ってくるわ」かる〜く謝罪。

 

すると・・

 室内に戻るとスッと表情が消え、鬼の形相で机をバンバン叩きながら
「間に合わへん!間に合わへん!!」(役に立たないという意)

 

「あ、じゃまだデパート開いてるから、買って戻ってくるわ」
電車に飛び乗り、往復30分ほどで帰宅。
「買ってきたよー」

 

母ぴろこは玄関まで出てきて、まだ鬼に形相で

「間に合わへん!!間に合わへん!!」
「いらん!!持って帰れ!!持って帰れ!!」
と、豚まんを突き返してきてブチギレ

 

いつも無関心な父一郎も、さすがに
「何でそんな事言うんや。ありがとうってもらえばええやろ。明日食べたらええやないか。。」と半泣き涙

 

私は、今ほど冷静に受け止められなかったので、いろんな意味で

 

 ガーーーーーーーーン。。。
  そんなに怒らんでも・・・

 ガーーーーーーーーン。。。
  顔がめっちゃ真剣やった・・・

 ガーーーーーーーーン。。。
  やっぱり私はダメなんや・・・

 

 かなり動揺して、ショックを受けて実家を後にしました。涙

 

 翌日、出勤時に父一郎に電話をして

「もう、しばらく実家には帰らない。どうしても必要な事が出来たら、連絡して。お母ちゃんは私の事をあまり良く思ってないから。姉ちゃんに色々やってもらって」

と言い渡し、1ヶ月ほど、実家には連絡を取らず立ち寄りませんでした。

 

老人の怒りの対応方法

 この時既に、色々と関連図書を読んだり、ググったりもしましたが、対応方法はただ1つ

 

 一旦、距離をとる。見えない場所に移動する との事です。

 

 これ、老人の対応方法というよりも、一般的な対応方法とも思います。

 

 認知症の度合いが進んでいたりすると、沸点に触れて怒りが爆発しても、その怒りもしばらくすると忘れてしまうという事もあるようですね。

 私も、言語療法士さんからだったか、姉からだったかに聞いたのですが、母ぴろこも、「怒りを抑えられない、コントロールができなくなってきた」と言ったことがあるようで、自覚はあるようでした。

 

 認知機能が少し低下していても、今まで通りしっかりしている意識のときも多いので、本人にとっても、もどかしいというか、ツラいというか。。バツが悪い気持ちもあるようです。

 

 私自身も、父一郎に一旦決別宣言をしたので引っ込みがつかず、実家と1か月くらいは連絡をとりませんでしたが・・

 母ぴろこの様子が気になり、我慢できず、言語療法士さんにこの豚まん事件を説明し、その事について母がどう思っているのかを聞いてもらったりしました。

 

母ぴろこは、言語療法士さんに「娘とケンカした」と説明したようでした。
ケンカというか一方的だったけど・・自分が一方的に怒りつけたとは説明しませんね笑

 

この豚まん事件の雪解けは、事件一月後に父から

「お母ちゃんが、”祭りやし、みんなでオードブルを食べる”といって、お母ちゃんが自分で弁当を注文したから帰ってこい」

と父一郎から電話があり、1か月ぶりでしたが、まるで何事もなかったかのように家族全員で食卓を囲みました。

 自分で弁当を注文した辺りは、不器用な母ぴろこの愛情や優しさを感じました。

 

お互い似た者同士、親子ですな~。笑

 

私達、不器用やもんなー、なー、ぴろこ♪

 

うちの家族構成・登場人物

父 一郎:盆栽・金魚を愛する超マイペース。

母 ぴろ子:猪突猛進 なんでも力ずくでやり遂げます!

姉 はな子:おっとりと見せて、冷静なかしこ。 実家から2時間の隣県在住

私 せつ子:しっかりと見せて、詰めの甘い繊細さん。実家の近くに在住。