手助けのバランス:家族の愛と本人の自立

脊髄小脳変性症の初期段階

 母ぴろこが脊髄小脳変性症を発病して4-5年。
 この病気を発症する前から、RS3PE症候群という難病も発症していて、一時期は大きな病院2ヶ所に通っていました。(他は行きつけの内科と眼科もあり)

 RS3PE症候群はリュウマチ/膠原病系の難病で、手首や足首の片方だけ(両方同時に見たことがない)むくみ始めて、稼働しにくくなる病気です。
最初は左足首だけが異様に浮腫んで動かしにくい事がきっかけで病院にかかった記憶です。
その後は、片方の腕の一部だけが浮腫んだり、右手だけが浮腫んでギュッと握れない状態になったり。

 こちらも難病に指定されていて、治療方法はなく、薬を飲んで症状を緩和するだけなので、2ヶ月に一度病院で担当の先生に問診をしてもらっていました。
難病のため完治することは無いと言われているのですが、母ぴろこの場合、症状が全く出ない状態まで回復したりするので、2年間病院に行かなくてもいい期間があったり、症状が出てきたらまた通院したりという繰り返しです。

RS3PE症候群(RS3PEしょうこうぐん)(平成21年度) – 難病情報センター

 

 どちらの病気も発病当初は、病院での様子を聞いても、「大丈夫や!」の一点張りで何も教えてもらえず、本人の様子を見ても、多少症状は出てるものの、生活ぶりには変化が無いように感じていましたので、色々詮索して喧嘩になるのも面倒なので、「ふーん、そうか」くらいの感覚でした。

 感情の起伏が激しくなったり、同じ時間にごはんを食べたがったりするルーティン行動が気になり出してから、姉と2人で病院同伴を説得して、脊髄小脳変性症で通ってる病院について行くようになりました。

aiueoigakita.hatenablog.com

 

発症して2-3年

 発症して2-3年経っていたと思いますが、病院について行き始めた当時は、しゃべりにくいに加えて、イスに腰をかけるときに、目的の場所にうまく腰を下ろせない。
イスとちょっとズレた所に座ってしまう感じ。

 あるあるですが、カップコーヒー持ったまま、バシャっと白いジャケットにこぼすという感じ。あららら。。という様子です。

 

 でもその頃は、母子3人で行動しても、基本せっかちなので、先陣を切って歩くのがお約束。我が家のリーダーそのものでした笑。

 その後数回、嫌がられながら姉妹で通院に同伴した後、病院の移転に伴い、もう少し家の近くで近隣では1番大きな病院へ紹介を受けて通院先が変わりました。

 

子どもに支援を求め始めるのは第一転換期

 新しい病院は色々と手続きが違うかもしれないから娘が通院について行くと申し出ると、案外すんなり納得しました。意外。。


 すると、翌週の病院(RS3PE症候群)もついてきてほしいと言い出しました。えええ??意外!!

 

これって。。。

 

 この気の強い助けられたくない母ぴろこが「病院についてきてほしい」と言い出すのは、よっぽど病院で何か困ることがあったのでしょう。今ならわかる。

初めてのマンツーマン通院付き添いはクタクタ

 私は幸せな事に、とても健康の為、健康診断くらいでしか病院へ行くことがありません。ましてや大きな病院には全く無縁の生活をしています。

 母ぴろこがRS3PE症候群で通院していた病院は、地元でも有名な国立病院で、私からすると全く勝手がわからない状態。

 とにかくせっかちな母ぴろこは、病院に行くのにも予約時間があるにもかかわらず、とにかく朝イチ開院同時に入場したい為、当時は駅で待ち合わせをして、タクシーに乗車。

 

 タクシー内で一言
 「要らんこと言わんでええ!」(お医者さんへ何も言うな)と口止め。

 

 病院に到着してからも、失語で説明がしにくいのもあり、黙って猪突猛進。

 

「え? え? どこ行くん?」「これ(診察券)、ここにこんな風におくの?」

 

イチイチ私も質問したのも悪いのでしょうが、質問する度に

「要らんことするな!!要らんことするな!!」と大きな声でキレられ、叩かれまくりました。さすがに周りの人も、大変・・・娘さん。。という雰囲気でしたw

 

 この日、猪突猛進の母ぴろ子と「病院で診察→薬局でお薬もらう→ランチする→買い物する」半日を過ごし、別れて帰った後、ぐったり疲れてビールを飲んで昼寝しました笑。

 

娘に通院の同伴を求めた理由

 こちらの病院では、事前問診の記入が求められるようで、おそらく脊髄小脳変性症の影響で手が思うように動かなくなっている為、文字が書きにくくなっているので、困っていたようです。

 確かにこの頃だったか、母ぴろこの書く字を見てショックで涙が出たことを思い出します。

 特に習う等はしていませんが、普通にきれいな字を書く人でしたので、筆圧が弱く、大小が揃わず、まっすぐに配置できない文字になっていたのです。

 これは、弱ってきた母ぴろこを本当に目の当たりにした気分になり、娘として本当に切なくなりました。

 

手助けするタイミング

 私は親になっていないので、分からないのですが、やはり親としての威厳を保ちたいという気持ちが強いのですね。

 それを、おせっかいな私は、勝手に見かねて手助けしようとしまくるので、母ぴろ子としてはうざいのです。

 はやり手助けは、「グッ と我慢しつつ見守って、本人が求めたら助けるというスタンスでいないといけない。

 こちらは、助けたいと思うけれども、それはこちらのエゴなんですよね。

 本人は手助け不要!とおもっている可能性も高く、過剰に先回りして手を出してしまうと、本人が自分でできる事を奪ってしまう事にもなりかねない。

 

 この数年、私自身も色々と経験し、でも同じ失敗を繰り返したりもしていますが、しょうがないよね。

だって人間なんだもの(みつを風)、なー、ぴろこ。

 

うちの家族構成・登場人物

父 一郎:盆栽・金魚を愛する超マイペース。

母 ぴろ子:猪突猛進 なんでも力ずくでやり遂げます!

姉 はな子:おっとりと見せて、冷静なかしこ。 実家から2時間の隣県在住

私 せつ子:しっかりと見せて、詰めの甘い繊細さん。実家の近くに在住。