認知症と家族の関係:心配から気楽への変化

病院について来なくていい!!-認知_兆し#2-

 母ぴろこの発声がちょっと変わってきたし、行動もちょっと変わってきたし、習い事の先生には、「前頭葉系」と言われたりして、気になり始めた。

 

 当時は、定期的に病院に行っているが、なぜ2か月に一回通院している理由も知らなかった。

 現在の状況を知りたいと思うが、本人や父に聞いても


「大丈夫や! うるさい!」と取り合ってくれなかった。

 うーむ、どうしたものか。。。

 

(認証の家族の心のケアを担当している)習い事の先生には、

「家族(特に子ども)の付き添いを嫌がる老人は多く、あるあるだよ」

 

「ダメ元で電話して聞いてみたら? 一般的にはダメな所が多いけど、本人が付き添いを嫌がる事は多々あるから、もしかしたら融通きかせてくれるかもよ」

と言われて、通院している病院に電話で母の状況を問合せしてみましたが、、、

 

「病院としては個人情報の観点もあるので、ご家族でもご本人同伴でないと、症状の説明はできません」と撃沈。(今時当然、当たり前です)

 結局、一番最初は姉と口裏を合わせて姉の帰省を口実に無理やりついていきました。

 

最初の病院紹介や介護度認定手続きは案外スムーズ

 我々姉妹は全く何の手続きに立ち会うこともなく、全く何も知らないところで、(当時は)「要支援1」と認定され、脊髄小脳変性症(医療費は全額国が負担)の難病手帳を取得し、母ぴろこは2ヶ月に1回通院をしていたものだなぁ、ふとこれを書きながら思った。

 

 母ぴろこの場合、最初かかりつけ医に診てもらって、紹介状を書いてもらい地元の循環器系病院にかかるようになった。

 おそらくですが、そこからは、病院と地域包括支援センター・ケアマネージャーが連携し、手続きを行い、通院する運びになったようでした。

 

 ただ、それを両親二人に聞いても、

保健所が家に来て話聞いてくれて、あの人これそうやってくれて」とよくわからない説明しか出てこないからよくわかりませんでした。。。

 

 症状が気にならないうちは、詮索するとうるさがられてケンカになるだけなので、ちょっと小競り合いながら、

「ま、えっか。よくわからんけど。。今のところは然るべき手続きは全部やったみたいだし」

で終わらせていました。

 

「先生、母は認知症でしょうか?」

 母ぴろこの場合は、脊髄小脳変性症で当時は話初めの息継ぎにつまづいていることが多いが、会話はとんちんかんな事なやり取りもしないし、特に自分の意見ははっきりしていたし、私たちの話も理解していました。

 ただ、ご飯を食べる時間も決まった時間に食べたり、段ボールゴミはとにかく捨てに行きたいしというルーティン行動が目立って来たので、1年に1回実施しているという心理テスト(認知症テスト)を受けるタイミングで母が認知症かどうか確認したいと思っていました。

 私たち姉妹の中では「母が認知症であるかどうか」が大きな焦点でした

 

担当医師:「去年と比べては経年の衰えだけですね、発病当時からすると、もちろん症状はすすんでいますが」

 

私たち姉妹:「母は認知症でしょうか? 違うのでしょうか?」

 

担当医師:「認知症というわけでは・・・ないですかね。。」

 

私たち姉妹:ホッ。

 

私せつこ:帰り際に「認知症というわけではないんですね」(念押し。。)

 

認知症です』という診断を受けて、何になるの?

(元看護士。現在、認証の家族の心のケアを担当している)習い事の先生には、「認知症じゃなかったです」と報告したときに言われました。


「『認知症です』という診断を受けて、何になるの?治るものでもないし??」

「終息にむけて 徐々に機能が低下するくらいに考えな。その方が気が楽だし」

 

 検査をして明らかに認知症特有の臨床結果が出ているならば、お医者さんもその結果を受けて診断結果を出すでしょうが、母ぴろこのように認知機能低下初期段階くらいの人の場合は「認知症です」とは診断されないようですね。

 確かに、誰しも何かの機能が低下してくる。50代の私達も、子どもの時の様に速く走れない。すぐ覚えられたことも覚えられなくなってる。それと何ら変わらない。

 出来てたことが、少しできなくなっただけ。

 

 当時の私は認知症になったら、お先真っ暗」って思っていました。だから「お母さんは認知症です」と言われるのがとても怖かった。

でもこれは、大間違いでした。

『80歳の壁』(幻冬舎)等で有名な精神科医和田秀樹先生もズバッと書かれていますが、全くその通り、失礼な話だと思います。

 

『認知機能が多少落ちても、お先真っ暗ではない

 初期段階では低下していない機能は沢山あるし、少し段階が進んでも出来る事は沢山あります。

 5年以上たって本当にそう実感します。

 

 それまでは、母ぴろこの行動に逐一反応し、心配し、またそれ伴い、父一郎の対応にも、いちいち腹が立っていましたが、こう思えるようになってからは、とても気楽になりました。

 

 母ぴろこの事で何度も何度も父一郎を非難し、ケンカをふっかけて、父一郎には悪いことしたなと 今では思います。(今でもケンカをふっかけてしまいますけどね。テヘ)

 

いつもごめんな。一郎。

 

うちの家族構成・登場人物

父 一郎:盆栽・金魚を愛する超マイペース。

母 ぴろ子:猪突猛進 なんでも力ずくでやり遂げます!

姉 はな子:おっとりと見せて、冷静なかしこ。 実家から2時間の隣県在住

私 せつ子:しっかりと見せて、詰めの甘い繊細さん。実家の近くに在住。

習い事の先生:元看護師で、現在も「認知症の家族のケア、相談員」として病院勤務

 

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