訪問看護リハビリ: 両親の受け入れ難しさ
リハビリなんかしない!-認知_兆し#3-
現在、母ぴろこは訪問言語リハビリとデイサービスで1日の運動リハビリに通っています。
今に行き着くまでは、コロナ禍もあり、リハビリをする事・デイサービスにはなかなか納得してくれず、ちょっと苦労はありました。(これも老人あるあるですね)
最初、素人考えで「失語」についてググって見たところ
「絵本など、文章がシンプルで文字が少ないものを音読すると良い」
また、「1人ではなかなか継続できないので、誰かが一緒に聞いて練習する」
とか書かれている情報を見たので、母ぴろこにこれを提案してみると・・
「そんな事してもわらんでええ!!」と、バンバン机を叩いて、激怒モード。
そりゃそだわな。。
人に世話になることが大嫌いなぴろこ。
子どもの時からから、手伝いのつもりでやる事についても
「要らんことせんでええ!!」と、どんな親切でも拒否って来た母ぴろこ。
しかし、子どもは自分の思う通りになってほしいし、せっかちなので、自分が思う通りに動くまで追いかけて煽ってくるタイプ。
自分の子どもにはこうあって欲しい、この高校に行って欲しい、偏差値の高い有名な大学に行って欲しい、大企業に勤めてほしい、大企業か公務員の人と結婚して欲しいと、自分が色々と苦労してきたのもあり、理想はどこまでも高く、どちらかと言うと俗にいう毒親タイプです。(これもこの世代にはあるあるかもしれない)
両親はとにかく全部自分たちで進めます。が、質問してもよくわからない、ふんわりした説明しかしてくれない。(おそらく本人たちも良くわからないまま、地域包括支援センターや病院に促されるまま進めている様子)
説明できないことを、子どもにうるさく聞かれると、
「うるさい!ちゃんとやっとる!ほっとけ」の一点張り。。
ケアマネージャーさんについては、両親との会話の中で、言語リハビリデイサービスの見学に行ったと聞いた病院を内緒で訪ねてそこで氏名や連絡先を教えてもらい、今のケアマネージャーさんにたどり着きました。
その当時は、ケアマネージャーさんにも「両親が非常に嫌がるので、私が連絡したことは内緒でお願いします」と事情を説明し、内緒で連絡を取るようになりました。
当たり前ですが、家族としては、ケアマネージャーさん、訪問看護師さん、リハビリ施設の方とは、ちゃんと連携できている方がいいですね。
あんな所(デイサービス)行きたくない-認知_兆し#4-
言語リハビリを受ける事については、本人も喋りにくいことが気になっていたようで、受け入れは早かったです。まずは周りの勧めで送迎付きの1日デイで言語リハビリに行ってみました。が・・・
数回行ったくらいから、父のご飯の用意があるからという事を口実に半日デイサービスに変えたり、「(体の大分不自由な人が多いから)こっちも調子悪くなりそうだから行きたくない!」と言い出す始末。(これも老人あるある。自分は別だと思っている)
自営業をやっているのに案外シャイで社交的ではないし、失語で喋りにくいし、しかも自分よりも体調が悪そうな人が多かったため、心を閉ざしていたようです。
デイサービスは、社交的な方であれば居心地が良かったりするようですが、そうでない場合は、行きたいと思わないようですね。人によって相性があるようです。
でも、一度見学や体験に行ってみるほうがいいと思います。案外良かったり、逆もあったりするようです。
母ぴろこにとっては、タイミングよくコロナが流行し始め、デイサービス・病院等で集団感染のニュースが出たりしたため、一旦通所リハビリはお休みすることに。
しかし、当時コロナは終息する兆しが無かったため、ケアマネージャーさんが気遣ってくださり、訪問型の言語リハビリを開始するとなりました。
言語療法士(ST)さんとの言語リハビリ
訪問言語リハビリを始めた当時は、どんなことをやっているかも全く教えてくれない。「ほっといて!」の一点張り。
言語リハビリや訪問介護の家庭への連絡帳は頑なに誰にも見せず、自分で認印(シャチハタ)を押していました。 どれだけ嫌やねん。。
※「最近、シャチハタが無い!」と父が言い出し、リハビリ部屋でシャチハタが発見された為、母ぴろこが隠し持っていたことが発覚しましたw
最初は、本人の意向を尊重して、連絡帳を見ないようにしていました。
ただ、本人の様子に変化が出て来るようになり我慢できず、言語療法士(ST)さん、訪問介護師さんの名刺を見つけ、所属する訪問看護ステーションに電話させていただき、「両親には内緒にしてください」とお願いして様子を聞くようにしています。
(今はこっそりリハビリをしている部屋に入って、連絡帳ものぞき見しています)
現在のSTさんに懐いているのか、特に断ろうともせず、定期的に言語リハビリをしています。
母ぴろこは、特に権威に弱いタイプなので、私達子どもが伝えても聞き入れてくれないことも、専門家(医療関係者全般)の方を通して、粘り強く伝えてもらうと、なんとかこちらの希望の方向に物事が進めることが出来ています。
※うちの両親は「ご夫婦ともに受け入れが悪い」と訪問看護ステーションの中でも有名みたいです(苦笑)
頑固やもんな、なー、ぴろこ♪
うちの家族構成・登場人物
父 一郎:盆栽・金魚を愛する超マイペース。
母 ぴろ子:猪突猛進 なんでも力ずくでやり遂げます!
姉 はな子:おっとりと見せて、冷静なかしこ。 実家から2時間の隣県在住
私 せつ子:しっかりと見せて、詰めの甘い繊細さん。実家の近くに在住。
認知症と家族の関係:心配から気楽への変化
病院について来なくていい!!-認知_兆し#2-
母ぴろこの発声がちょっと変わってきたし、行動もちょっと変わってきたし、習い事の先生には、「前頭葉系」と言われたりして、気になり始めた。
当時は、定期的に病院に行っているが、なぜ2か月に一回通院している理由も知らなかった。
現在の状況を知りたいと思うが、本人や父に聞いても
「大丈夫や! うるさい!」と取り合ってくれなかった。
うーむ、どうしたものか。。。
(認証の家族の心のケアを担当している)習い事の先生には、
「家族(特に子ども)の付き添いを嫌がる老人は多く、あるあるだよ」
「ダメ元で電話して聞いてみたら? 一般的にはダメな所が多いけど、本人が付き添いを嫌がる事は多々あるから、もしかしたら融通きかせてくれるかもよ」
と言われて、通院している病院に電話で母の状況を問合せしてみましたが、、、
「病院としては個人情報の観点もあるので、ご家族でもご本人同伴でないと、症状の説明はできません」と撃沈。(今時当然、当たり前です)
結局、一番最初は姉と口裏を合わせて姉の帰省を口実に無理やりついていきました。
最初の病院紹介や介護度認定手続きは案外スムーズ
我々姉妹は全く何の手続きに立ち会うこともなく、全く何も知らないところで、(当時は)「要支援1」と認定され、脊髄小脳変性症(医療費は全額国が負担)の難病手帳を取得し、母ぴろこは2ヶ月に1回通院をしていたものだなぁ、ふとこれを書きながら思った。
母ぴろこの場合、最初かかりつけ医に診てもらって、紹介状を書いてもらい地元の循環器系病院にかかるようになった。
おそらくですが、そこからは、病院と地域包括支援センター・ケアマネージャーが連携し、手続きを行い、通院する運びになったようでした。
ただ、それを両親二人に聞いても、
「保健所が家に来て話聞いてくれて、あの人がこれをそうやってくれて」とよくわからない説明しか出てこないからよくわかりませんでした。。。
症状が気にならないうちは、詮索するとうるさがられてケンカになるだけなので、ちょっと小競り合いながら、
「ま、えっか。よくわからんけど。。今のところは然るべき手続きは全部やったみたいだし」
で終わらせていました。
「先生、母は認知症でしょうか?」
母ぴろこの場合は、脊髄小脳変性症で当時は話初めの息継ぎにつまづいていることが多いが、会話はとんちんかんな事なやり取りもしないし、特に自分の意見ははっきりしていたし、私たちの話も理解していました。
ただ、ご飯を食べる時間も決まった時間に食べたり、段ボールゴミはとにかく捨てに行きたいしというルーティン行動が目立って来たので、1年に1回実施しているという心理テスト(認知症テスト)を受けるタイミングで母が認知症かどうか確認したいと思っていました。
私たち姉妹の中では「母が認知症であるかどうか」が大きな焦点でした
担当医師:「去年と比べては経年の衰えだけですね、発病当時からすると、もちろん症状はすすんでいますが」
私たち姉妹:「母は認知症でしょうか? 違うのでしょうか?」
担当医師:「認知症というわけでは・・・ないですかね。。」
私たち姉妹:ホッ。
私せつこ:帰り際に「認知症というわけではないんですね」(念押し。。)
『認知症です』という診断を受けて、何になるの?
(元看護士。現在、認証の家族の心のケアを担当している)習い事の先生には、「認知症じゃなかったです」と報告したときに言われました。
「『認知症です』という診断を受けて、何になるの?治るものでもないし??」
「終息にむけて 徐々に機能が低下するくらいに考えな。その方が気が楽だし」
検査をして明らかに認知症特有の臨床結果が出ているならば、お医者さんもその結果を受けて診断結果を出すでしょうが、母ぴろこのように認知機能低下初期段階くらいの人の場合は「認知症です」とは診断されないようですね。
確かに、誰しも何かの機能が低下してくる。50代の私達も、子どもの時の様に速く走れない。すぐ覚えられたことも覚えられなくなってる。それと何ら変わらない。
出来てたことが、少しできなくなっただけ。
当時の私は「認知症になったら、お先真っ暗」って思っていました。だから「お母さんは認知症です」と言われるのがとても怖かった。
でもこれは、大間違いでした。
『80歳の壁』(幻冬舎)等で有名な精神科医・和田秀樹先生もズバッと書かれていますが、全くその通り、失礼な話だと思います。
『認知機能が多少落ちても、お先真っ暗ではない』
初期段階では低下していない機能は沢山あるし、少し段階が進んでも出来る事は沢山あります。
5年以上たって本当にそう実感します。
それまでは、母ぴろこの行動に逐一反応し、心配し、またそれ伴い、父一郎の対応にも、いちいち腹が立っていましたが、こう思えるようになってからは、とても気楽になりました。
母ぴろこの事で何度も何度も父一郎を非難し、ケンカをふっかけて、父一郎には悪いことしたなと 今では思います。(今でもケンカをふっかけてしまいますけどね。テヘ)
いつもごめんな。一郎。
うちの家族構成・登場人物
父 一郎:盆栽・金魚を愛する超マイペース。
母 ぴろ子:猪突猛進 なんでも力ずくでやり遂げます!
姉 はな子:おっとりと見せて、冷静なかしこ。 実家から2時間の隣県在住
私 せつ子:しっかりと見せて、詰めの甘い繊細さん。実家の近くに在住。
習い事の先生:元看護師で、現在も「認知症の家族のケア、相談員」として病院勤務
認知症の種類と進行:母の晩ご飯の時間の謎
「同じ時間に晩ご飯を食べる」-認知_兆し#1-
母ぴろこは、4-5年前に脊髄小脳変性症を発症していますが、この病気は言葉が出にくいと言う事がきっかけで発覚しました。
難病ではありますが、晩年の発症で進行も遅い為、終息に向けて付き合っていくだけです。
ただ80にもなってきているので、今から考えるとこの頃から少しずつ認知機能も衰えてきていたと思います。
最初に、あれ??と思ったのは、「晩ご飯の時間」でした。
うちは小さな自営業を両親でやっていて、当時父一郎が店を閉めるのが18時過ぎ。
私は仕事を定時で退社すると、実家に着くのが18時過ぎ。
私は通勤途中に実家があるので、平日2-3回晩ご飯を実家で両親と食べています。
いつの頃からか、母ぴろこだけが、先にご飯を済ませているようになり、
私:あれ?お父ちゃん待たずに先食べたの?
母ぴろこ:薬の時間があるから
私:ふーーーーーん。そうなんや。
最初はあまりに気していませんでしたが、実家に晩ご飯をいただきに行く度に先に母ぴろこが先にご飯を済ませる事が度重なるので
私:お父ちゃんの仕事終わるの待ってて一緒に食べたら?
母ぴろこ:シーーーン。(スルー)
別に、両親は仲が悪い訳でもないし、自営業なので確かに
「”手が空いた者からご飯を食べる” に疑問なし」
と言われたら、そりゃそうだけど。。
ちょっと。。変なの・・??
「前頭葉系やな」
私の習い事の先生は、元看護師で、現在も「認知症の家族のケア、相談員」として病院の勤めている。
先生には、家族の事、私自身の事もよく話していたので、事情をよく理解してもらっている上で、こう言われました。
先生:お母さん、前頭葉系やな。(前頭葉が萎縮して行く認知症初期症状)
臨床データをとって、お医者さんに診断されたわけでもないのですが、とても信用している先生だし、専門分野で働かれている方なので
そうなんか。。認知症になってきているのかな・・・と漠然と不安に思いました。
”前頭葉系”とは
習い事の先生に、「前頭葉系」と言われて、何なんだと思い調べた所、認知症には大きく4つのタイプに大別され、それぞれに症状が微妙に違うことを知りました。
彼女の見立てだと、決まった時間に晩御飯を食べる母ぴろこは「融通が利かず、ルーティンを好む傾向が高い生活」をしているという判断で「前頭葉系」。
確かに、ダンボールのゴミが出ると、ご飯時の時間であっても、夕方であっても、自転車で近所にある廃品回収するコンテナボックスに捨てに行こうとするので、
『今、行かんとあかんの??』と、確かにずっと疑問でした・・。
認知症の代表的な4タイプと特徴
私は学術的に専門の勉強をしたわけではないので、見聞きして知ったことをまとめて簡単に書くと、代表的な特徴は下記のようです。
- アルツハイマー 60%
初期の内から記憶障害や見当識障害などの症状が現れ、10年以上かけてゆっくり進行。徐々に着替えや日常動作が困難になっていく。 - 脳血管性型認知症 20%
まだら認知 記憶障害 言語障害
抑うつ、怒りっぽくなる 性格面の変化がある。 - レビー小体型認知症 10%
幻覚や妄想が見える - 前頭側頭型認知症 1~5%
自発性が無くなる。
融通が利かなくなる。
怒りっぽくなる。
でも、まー、えっか。怪我せず帰ってきてた訳だし。な、ぴろこ ♪
うちの家族構成・登場人物
父 一郎:盆栽・金魚を愛する超マイペース。
母 ぴろ子:猪突猛進 なんでも力ずくでやり遂げます!
姉 はな子:おっとりと見せて、冷静なかしこ。 実家から2時間の隣県在住
私 せつ子:しっかりと見せて、詰めの甘い繊細さん。実家の近くに在住。
習い事の先生:元看護師で、現在も「認知症の家族のケア、相談員」として病院勤務
老いの訪れに向き合う
老いは平等にやってくる
我が家にも老いがやってきました。
どういう自信か分からないですが、「老い」は、自分には、自分の親には、関係の無い事だと思っていました。
多分、そう思っている方は多いはず。
そんなうちにも老いがやってきました。
いわゆる、8050問題です。
やはり、ここは平等です。
うちの家族構成
父 一郎:盆栽・金魚を愛する超マイペース。
母 ぴろ子:猪突猛進 なんでも力ずくでやり遂げます!
姉 はな子:おっとりと見せて、冷静なかしこ。 実家から2時間の隣県在住
私 せつ子:しっかりと見せて、詰めの甘い繊細さん。実家の近くに在住。
「言葉が出にくい」-難病_兆し#1-
母ぴろ子の老いを感じ始めたのは、5年ほど前に、「言葉が出にくい」と言い出したことがきっかけでした。(当時 ぴろ子80歳手前)
脳梗塞かもしれない・・。
家族で心配して、病院で調べてもらったところ、全く脳梗塞は見つからない・・。
じゃ、何なんだろう・・・。
色々と検査をしてみたところ、ついた診断は、脊髄小脳変性症という指定難病でした。
この診断がついた当初は、運動好きで病気知らず、どこまでも自転車を乗り回すぴろ子、しかも心配されるのが大嫌いなぴろ子なので、娘の私達には「大丈夫や!」の一点張りで、全額医療費負担されるほどの指定難病になっていることは教えてくれなかった。
当時はしゃべりだすタイミングで、ちょっと「う~~~」と唸りだすぐらいで、生活に支障はなく、夫婦で海外旅行もしていましたし、私達もさほど心配することもありませんでした。
脊髄小脳変性症とは
歩行時のふらつきや、手の震え、ろれつが回らない等を症状とする神経の病気です。
簡単に言うと、お酒に酔ったような(ふらつく・ろれつが回らない)症状が出る病気です。
主な症状
- 歩くとふらつく、バランスがとれない、転ぶ
ろれつがまわらない - 動かそうとすると手がふるえる
- 若年発症の場合、知的障害やてんかん、全身の不随意な動きを合併することがある
- パーキンソン症状(手の震え、動きが乏しい、筋肉がこわばるなど)を合併することがある
- しびれや感覚の鈍さなどの末梢神経障害を生じることがある。
4-5年は元気いっぱいの変わらない生活
母ぴろ子の様子は、4-5年は少し喋りにくいものの、普通に元気な生活をしていました。
電動自転車を乗り回し、お得な物をどこまでも求めて電動自転車で買い物へ行き、
毎日散歩をし、
たくさん食べ、
2ヶ月に1度の通院にも1人で通い、
元々おしゃべりなタイプでもないので、少々しゃべりにくくても、いたって普通の元気で若々しくアクティブな生活をしていました。
5年ほど経った今、少しずつ母ぴろ子の体調・生活が変化してきましたので、その間に娘として感じた色々なこと、考えたことを綴っていきます。
同じような経験をされている方が、
「他にも同じような経験をしている人(家庭)があるんだ」
「そうそう!あるある~~」
と、ちょっとホッとしてしてくれたらいいなと思って書いていきます。
今現在も、母ぴろ子はしっかりご飯も食べて、元気にしています!
な、ぴろこ ♪